納豆研究家・職人

納豆研究家・職人 菊池啓司

今から約70年前、昭和20年3月10日の東京大空襲(深川の大空襲)で、私の祖父・猛次郎と父・康隆が焼け出されて、東京深川から茨城の日立に流れてきました。
 当初は生活のために水木の浜で塩炊きをしておりましたが、その後、昭和23年に納豆造りを手掛け、菊池の「菊」と当時からの水木と言う地名から「水」を取って「菊水納豆製造所」を創業しました。 開業当時は、日立製作所が全国から従業員を集めていて社員寮がいくつもあり、朝の引き売りと寮納めで生計を立てていました。

昭和57年、私が家業を継ぐ決心をしたのは父の緊急入院がきっかけでした。大学卒業後3年間、建設会社の営業職として面白く働いていましたが、菊水の納豆を待っていてくれる人たちがいるということで退職届を出しました。
 いざ、現場に立ってみると、大豆のことも知らず、納豆菌の配合や発酵時間も全くわかりません。父の仕事仲間にお願いしたりして必死に勉強しました。何とか自分の納豆が出来るまでに3年かかりました。
 その後、スーパーや生協へ卸すことになり、機械化による大量生産をはじめ、売上は増えましたが設備の費用もかさんでいきました。しかし、菊水が大手のまねごとをしても・・・と進む道を模索しました。そんな中で、昭和63年に手造りの納豆「菊水ゴールド納豆」を考案して商品化し、バブル時代末期でしたが良く売れました。また、この年に「有限会社菊水食品」として法人化しております。

この「菊水ゴールド納豆」が平成16年に全国納豆鑑評会(名古屋大会)で、優秀賞「厚生労働省医薬食品局食品安全部長賞」を取ることができました。 これをきっかけに、マスコミにも多く取り上げられ、現在は店舗卸し・個人注文ともに固定客がつき、オリジナル性を保ちつつ日々進化しつつ製造しています。

また「海洋ミネラル納豆ミニ2」は平成20年の全国納豆鑑評会(金沢大会)で、日本一旨い納豆の称号である最優秀賞『農林水産大臣賞』をいただきました。
 ここで「日立の納豆・日本一!」とのぼりにも掲げ、出張販売のおりにも「日本一!」と連呼しています。実際のところ、吹けば飛ぶような零細企業が大手の安売り合戦に対抗して生き残るには「味と品質」で勝負するしかなく、必死で旨い納豆作りに励んでいるわけです。

平成22年の7月10日納豆の日に、黒豆納豆の「黒豊」と「黒納豆」を世に出しました。
 これは茨城県農業総合普及センターと5年がかりで菊水食品と開発した「茨城県産初・納豆用の小粒の黒大豆」を使用した納豆です。 そして第16回全国納豆鑑評会(札幌大会)において、「黒豊」は、平成23年にゴールド納豆と同じ優秀賞「厚生労働省医薬食品局食品安全部長賞」をいただきました。
 黒豆は栄養価が高い上に甘味が強くて美味しいのですが、表皮が硬くて舌触りの点が納豆としては難点でした。そのあたりの試行錯誤を重ねて適度な軟らかさに作り上げ、今回、受賞という形で評価されて大変嬉しかったです。更に平成25年には、日立市の土産品として開発してきた「ひたちのなっとう」が、全国納豆鑑評会(宇都宮大会)で4度目の受賞をすることができました。

    こうして商品としては、
  • 高級志向に対応した『菊水ゴールド納豆』『黒納豆』
  • 健康志向に対応した『海洋ミネラル納豆』『黒豊』
  • 環境問題に対応した『頑固一徹納豆』
  • 地域に根差した『ひたちのなっとう』
が揃いました。

ちなみに、水戸納豆といえば全国的に有名ですが、茨城県の納豆屋で、それも日立市の納豆屋が日本一旨い納豆の称号をいただき、茨城県としても菊水食品が初めて、大きな賞を4度もいただいたのも唯一で、震災後疲弊した茨城県北を納豆で盛り上げようと頑張っています。  納豆作りひとすじ30有余年、これからも納豆と言えば日立、といわれるよう、納豆職人・納豆研究家として腕をみがいていきたいと思っております。 長男が納豆職人として仕事に従事し、4代目として後を継いでくれ私を助けてくれています。これも大変嬉しいことです。

今後も、茨城県北の発展のために、少しでも皆様のお役に立てる企業として努力していきたいと考えていますので今後もご指導をよろしくお願い申し上げます。